2011年12月30日金曜日

フィンランド


フィンランドに行ってきました。
しゃんしゃんが住んでいます。

楽しかった!

フィンランドは、おおらかな国。
裸でプールで泳いでサウナに入ってお酒を飲む国。
優しい優しい国。

人々が本当に優しくて驚いた。

冬は日照時間が短くて
10時頃明るくなって3時には暗くなってしまう。
だからしゃんしゃんと、朝ごはんを食べて
「早く出かけよう。日が暮れちゃう!」と出かける。

路面電車でどこでも行ける。
滞在中一度も誰もチケットのチェックをしなかった。
大人な国、フィンランド。

クリスマスの次の日、初めて酔っぱらいを見た。
サンタさんみたいに赤いほっぺをしたおじさんが2人、近所の階段に座ってた。
隣にはスミノフの瓶が数本転がってた。
しゃんが言った、「これがフィンランドだよ。これこそがフィンランド。」

まだまだ知らないフィンランド。また行きたいな。

東京は日が長い。家の中が寒い。
北風が吹きつける。
そんなに吹いたって負けないよ。


今年も皆様本当にありがとう。
来年もどうぞよろしくお願いします。



2011年12月16日金曜日

いざさらば






































それではみなさんしばらくさよなら

It's T-time.



2011年12月15日木曜日






































人って巡り合うようにできてるのかな
不思議な巡り合わせの連続
ふらっと立ち寄った本屋でえ?なんで?という懐かしい顔に出会ったり
偶然隣に座った人がどっぷりロシア関係の人だったり
深夜の表参道で前世のような昔に付き合っていた人に呼びとめられたり

さぁ今日も不思議を享受しにいこう
それはそれは悲しいこともそのうち甘い香りになる

2011年12月13日火曜日

バツイチ婚活中ミカコ

忘年会の季節
今年お世話になった方々と忘年会
楽しい一次会の後
いやいやながらカラオケの二次会
もー。

仕方がないので大好きな松田聖子
思い出の"Sweet Memories"
歌い始めようとしたら
どこからかバツイチ婚活中のミカコが現れて
マイクを完全に奪われ
あぁ、今年はこんな感じかと
自分を笑いながら、大きな東京タワーを背にタクシーに乗る
自然と鼻歌
もちろん"Sweet Memories"
ふんふんふんふんふぅ~ん
ふんふんふんふんふぅ~ん
ふんふんふんふんふんふぅ~ん
ふんふんふんふんふんふぅ~ん


2011年12月9日金曜日

仕事する玉子





























お仕事する、こんな角度から自分を見たのは初めて
頼れる町子さんがおもむろにぱちりと撮ってくれた

中川俊郎さん(作曲家)のインタビューをしているところ
中川さんの思考は宇宙に自由に羽ばたいて
ふわふわ夢心地な時間だった
音楽って素敵 本当にいいな

このお仕事は社長が「捨てる神あれば、拾う神あり」と言って
捨て猫玉子を拾ってくれたことから始まった
コミュニケーションの達人にお話を聞いて、写真を撮るお仕事
本当にありがたい
楽しくて、しかもまるで自分のための特別講座を神様が用意してくれるみたいに、私に足りない言葉を毎回授けてもらっている

WEBで掲載していただいているので
よかったらどうぞ見てください


http://www.mf-design.co.jp/c-bible/001kasai.html

それから、お友達の純子ちゃんのための写真講座を開いた
純子ちゃんは陰ヨガとアロマセラピーのプロ
陰ヨガはクラスで教える先生で、アロマセラピーは自分のサロンで施術を行っている
すごくエネルギーが充実していて刺激的
純子ちゃんのブログに素敵に載せてくれたのでこれも紹介します


http://www.junostyle.jp/blog/aromatherapie/651.html#more-651


どこもかしこもきらきらイルミネーション
ひとりひとりもみんな光ってるね
まぶしい☆


2011年12月7日水曜日

呼んだ?

































なんとなくぼんやりしてきたので、9時に就寝。翌朝4時に起きるように目覚まし時計をセットした。

ちりりちりりちりりん♪
電話が鳴った

「呼んだ?」と、ダイくん
「えっと、呼んでないと思う」
「え、呼んでない?」
「うん、たぶん呼んでない」

「寝てた?」
「寝てた」
「寝る?」
「ううん、大丈夫」
頭ははっきり起きてるけど体が寝てるような狭間でフィンランドの話や水道局長の話や黒塗りの話、それからマヤのカレンダーの話をした

「超エリートクローン人間が支配するかもしれないよ」
「そうなの?」想像するとSF映画みたいで怖くなって涙が出る
「超エリートクローン人間て、いい響きだな」
「う~ん」

それから「超エリートクローン人間」を何度か繰り返して言った後、しーんと静まって
「寝なさい」とダイくんが言ったので
「はい、寝ます」

そして、電話をありがとう、おやすみなさい、またねバイバイ

蒲団が温かい

2011年12月4日日曜日

C.G.

















Cafe Grecoは旧乃木邸の前
巻髪のマダムがたばこを吹かす
「あなた幼いのよ」なんて言う
蝶ネクタイの給仕がとても慎重にチーズケーキをカットする

新曲


横浜Lizard、バーバーフィッシュのライブ
真っ先にやった新曲がびっくりするほどの疾走感
どかどかすごくかっこよかった
ミツさん曰く「ワルだよね」

お誕生日のお祝いのケーキを一口もらう
甘いショートケーキは誕生日には欠かせない
おめでとうございます

幸せに幸せに元気にね

2011年12月2日金曜日

空と海と珈琲











神奈川芸術劇場で古田新太さんの取材
「ロッキーホラーショウ」はかなり面白そう
だって本人がすごく楽しんでる

その後、黄金の銀杏並木をまぶしく見上げながら
海までとことこ歩き
日向の「ロータス」で珈琲。

内緒でおまけをしてくれたかわいい人が「またぜひ!」と笑顔で送ってくれたので忘れられないよ

2011年11月17日木曜日

幸せのかたち


パパ・タラフマラの小池さんとリトルモアの福桜さんと大坊珈琲店で落ち合う。
木でできた店内は歩くとぎーぎーと音がする。一番奥の席でテーブルを囲む。
空間と身体と時間の話や、日本の行く末のこと、この場所からまた新しい何かが生まれそうな予感に胸がいっぱいになる。
下の階が工事中で時折、っどどどどどーぎゅいぃぃぃーという音がする。でも全然その音に翻弄されずにマイペースににこにこと話し続ける小池さんと福桜さんの横顔をまぶしく眺めていた。


2011年11月15日火曜日

考えるダイくん

「乾燥してるね」

ある朝ダイくんから電話

「うん、そうだね。乾燥してるね」

「乾燥してるなーと思って電話してみた」

「うん、ありがとう」

それから乾燥について、少し話した。

それから昨日ケンカに巻き込まれたとダイくんは言った。

病院の診察が終わって薬を待っていたら、同じように待っていたおじさんが突然「遅い!いつまで待たせるんだ!」と怒り出した。だからダイくん、「うるさいよ」と言った。だってうるさかったから。

それでおじさんは静かになったんだけど、おじさんが薬を受け取った後に、ダイくんの前に来て「お前さっきのは何なんだ」と言って胸倉をつかんだ。ダイくんはむかつき、周りは騒然となったその時、薬剤師さんの中の一人の男性(ダイくんの知らない人)が

「ダイくん、我慢して!ダイくん、がんばって我慢して。」と言ったのだそう。

ダイくんはなんとか怒りを爆発させずに我慢した。

でも家に帰ってもいらいらとむかついて気持ちが落ち着かなかったので、これまでにあった楽しいことを考えようとしたけれど特になくて、ろくでもない人生だな、と思った。更に考え続けた。さっきあの薬剤師さんはなんで「ダイくん」と自分のことを呼んだんだ?と考えた。

それで思ったのが、あぁいう薬や医療のプロの人たちは、あのような状況の時に下の名前を呼ぶと冷静になれるとか、そんな裏技を知っていて、「ダイくん」と呼びかけたのではないか。

そこまで聞いて私はダイくんの思考の深さに感動した。
ダイくんすごいよ。

私なんて、「ダイくん」って薬剤師さんがダイくんに呼びかけた時点で、薬剤師さんは秘かにダイくんのファンなんじゃない?それで名前もチェックしてたんじゃない?って思った。ザ、浅い思考。

「その薬剤師さんはどんな感じの人だった?大きい人?」と私は聞いた。

「そんなに大きくないけど、がっしりした体形の人だった。」

「胸倉つかまれたら怖くない?」

「怖いよりむかつくよ。だって何も悪いことしてないんだもん。」

「へぇ~。」


なんだか頼もしいな、と私は思った。
ダイくんも、薬剤師さんも。



2011年11月14日月曜日

見るものみな歌の巻

日曜日は乃木神社の骨董市だった
行ってみたら5つくらいしかお店を広げてない
寂しい
吉日のようで、結婚式が分刻みで行われている

来た道を戻りBook246にふらり立ち寄る
ここには旅の本がある
アメリカの昔の絵ハガキ(ブルースカイ、プールサイドのパラソル、水着姿の男女たち)に吸い寄せられて、隣にあった「三原山の大活動」の絵ハガキセットに手を伸ばす
















中にはモノクロの火山の写真絵ハガキ5枚
かっこいい

レジの女の人の白眼の白さに感動して写真を一枚撮らせてもらう
そうしたら、その人は冒険者だった
中学3年の時から世界70カ国を旅してきた
イラクでは戦争が起こっていて
持っていた一眼レフを覗きこんだ瞬間に麻袋を全身にすっぽりかけられて3日間拉致された
それがトラウマで写真が撮れなくなった分だけ、写真を撮る人や、一枚の写真で感じ取ることのできるものの大きさをすごいと思うと話してくれたけど、いやいや、あなたの経験の方がよっぽどすごいです
鉛筆を立てて、手を放してぱたりと鉛筆が倒れた方向に旅をしたりする
ナップザックで行きあたりばったり
驚くのは、その人が少女のように細身で可憐で色白でキュートなこと
由衣さんという名前の通り、自由をまとって生きている
東京にいる間はBook246で旅のコンシェルジュ
フィンランドについて訊ねると
フィンランドはいいですよ
私はフィンランドの森で迷子になって、パニックになりましたが、小川が流れていたので、水はあるし、ベリーも生っているし、なんとかなるかなと思っていたら、大きなトナカイに遭遇して、そのトナカイに食べられる!と思いましたが、トナカイがふんっと無視して行ってしまったのでその後をついて行きました。するとサンタの家に着きました。サンタが家の外で薪割りをしていて、私を見て驚いて「お前、こんなところで何してる?」と聞かれたので、迷子になりまして、と話すと「じゃ、お茶でも飲んでいきなさい」とお茶をごちそうになりました。

おとぎ話のような不思議な話の連続 なるほど白眼が白いわけだ
レジの前にいながらにして世界を旅する30分の立ち話をして、握手をして別れた

高橋源一郎さんの取材が明日だったので『「悪」と戦う』を買って帰る
これは傑作!おすすめ。しかも一日で読める。

次の日、つまり今日の高橋さんの取材
うなずきの連続
「学校へ行くとバカになります」
「楽しいのがいい、みんな歌っちゃえばいい」
「言いたいことを言うのが一番気持ちいい」
みんな知らず知らず言論の自主規制をさせられていることに気づいていない

新刊『恋する原発』は今週末に出る
体育館みたいなところで200組が同時に行為を行うアダルトビデオがあって
監督がメガホンで「じゃ、キスして!」とか指示する
それですべてが終わった後、200組がまったりしている光景をカメラは徐々に上へあがっていく
尾崎豊のバラードみたいな、そのエンディングのためだけに作曲された曲が流れて、それは思わず泣いてしまうほどの感動なのだとか
そういったこと(?)が盛り込まれているらしい

広島県尾道市出身の高橋さん
出会えてよかったな





仙台へ行くの巻

ブルースターは幸運を呼ぶ花
青は佳子ちゃんの好きな色

こまち19号に乗って仙台へ向かう
ほぼ満席で通路側の席と言われたけれど
乗ってみたら結構空いていて、席は窓側だった
いろんな世界が同時進行してる

パンやで買った「セサミ・ブリー」、胡麻の入ったフランスパンにブリーチーズとカントリーローストハムとバター
おいしーーーいとまじまじとパンを見つめてしまう
ブリーチーズって、白カビチーズなのに臭くない まるでミルクの味

通路の向こうの人が新聞を読む
TPPの文字が大きく載っている
TPPTPP軽い響き

大宮の次はもう仙台
東北本線に乗り換えて南仙台へ
妹の家へ向かう
震災の時に入った歪みやガラスが割れて抜けたままの扉などを見る
妹はいつも明るいので深刻な話も明るいが
震災後はひと月お風呂に入れなかったし
余震がずっと続いていて友達の家に避難していたり
ガソリンを買う列に毎日並んで「今日も買えずに帰る」日々があったり
親しい生徒が亡くなったりした

妹の部屋で、彼女が過ごしたいろいろな時間を思った
それにしても、まるで色彩や置いてあるものが男の人の部屋みたいだったので
あれはどうしたものかと考える

次に妹の大学へ向かう
東部道路という高架の高速道路にのってみる
震災の時は津波で流されたものがこの道路でせき止められてこちら側に津波が来るのを防いでくれたのだとか
その日はたまたま高速道路の整備をしていて入場禁止になっていたのだけど
それを破って高速道路にのった人たちが助かったのだとか
高速道路から海まで見えそう
波はあらゆるものをさらってしまったようだ

大学の銀杏は黄色く輝いている
妹の研究室は私の住む部屋よりも大きい
すごいねーと言って天井まである本棚を見上げる
そして1月のダンス公演(私は撮影をする)でどうやって私の人件費を賄うかということをまるでお金儲けのセンスのない私としっかりものの妹が顔を突き合わせて考える
どうやったらみんな写真を買ってくれるかな?
まずはいい写真を撮らなくちゃね

それから近くの「ナルミ・キッチン」で昼食
妹の生徒たちに私と妹が「似てる~!」と言われる

それから妹の部屋に戻り、干した布団を取りこんで
仙台の逆側までドライブして、写真展を見に行く
私には到底撮れないような美しい風景写真
珈琲とパフェを食べながら妹とおしゃべりする
あっという間の夕暮れ

また仙台の逆側に戻り、カフェ「ひなびな」へライブを聴きに行く
大満足のもっと上の満足感のあるライブ
一生懸命さが伝わる
見えてるものや聞こえているもの以上のものが受け取れるのがライブのすごいところ
一日経っても二日経っても、あぁよかったな~と思っている













2011年11月11日金曜日

おばあちゃんのおやつ

1982年4月18日朝日新聞より

「おばあちゃんのおやつ」抜粋

きょうは、福島県の山林で働く人たちのおやつです。
東白川群塙町真名畑字向漁師。山に囲まれた小さな村のおばあさん鈴木キヨさん(七六)から、「蒸しパン」の話が届きました。何となく寒い季節のおやつ、というイメージですが、さにあらず。村でこのおやつを作り始めるのは、ほかならぬ今の季節だというのです。
冬が終わり、日が長くなるにつれて、山の仕事はだんだん忙しくなる。杉の苗を植え、下草や雑木を刈り払い、杉の大樹を伐採、製材・・・・・・。手伝いの人数もふえてくる。
「おやつ時には、蒸しパンを山のようにこしらえては、漬物とお茶を添えて運んでいきます」と。

抜粋以上。


5年くらい前の誕生日に「空手なんかやっていないで料理でもしなさい、と母に言われました」という私に、空手の大先輩の高尾さんが譲ってくださった、切り抜きだけで作られた分厚いレシピ本の中から、蒸しパンを作ってみた。とても簡単で、出来立ては本当に美味しくて懐かしい。バターを置くととろりと溶けて、あぁ幸せ。

福島の山林の営みや季節感をすぐそばに感じながらいただきました。

高尾さん、ありがとうございます。
お元気ですか。




2011年11月8日火曜日

母の誕生日


母の誕生日に実家へ行った
父と母と3人の食卓

食事が終わると恒例のケーキカット
父がろうそくを意気揚々と5本ケーキに立てる
そして火を灯す
部屋の電気を消す
ろうそくの火に母が照らされる
母の願い事は長い
手のひらを合わせて熱心にお願いする
姉のこと、妹のこと、父のこと、私のこと、世界のこと、自分のこともお願いしてほしい

ろうそくを一気に吹き消すと願い事が叶う
ぶーっと一気に吹き消した

真っ暗な部屋
父が電灯を点ける
そして母の前ににこにこ座り

「また3つ違いになったね」


あまーーーーい
何それ。

すると父、
「だって、いつも4つも違うって言い張るんだもん」

11月生まれの母と5月生まれの父、ちょうど半年違うのです





(写真は、東京デザイナーズウィークにて、仙田禎さんのユニットの作品。お料理の気持ちになってみました。)

2011年10月29日土曜日

仕事が終わらない

「仕事が終わらないの」
と電話口で母に言った。

勝手に会社を辞めて(「辞めます」とは言ったけど)、今の仕事を始めてから12年、初めて弱音を吐いた。

すると電話の向こうで母は
「え?仕事がないの!?」

「違う違う、仕事が終わらないの」
「なんだ、じゃぁいいじゃない」
よくないよー と言うと、終わったら晴々としてるわよ、と能天気。

電話を切ってから、確かに、仕事がないより仕事が終わらないほどある方がいいな、「仕事がないの」なんて死んでも母に言いたくない、と思った。

好きな仕事ができてる自分がとても幸せに感じられた。

感謝しています。

2011年10月24日月曜日

御殿、空を飛ぶ


大野慶人さんと指人形さん 新・港村会館ハンマーヘッド横野外にて
ダンサーのサミーちゃんの誘いで横浜に出かけていった。
大野一雄フェスティバル2011
みなとみらい線の馬車道駅6番出口を出て、まっすぐひたすらに海を目指して歩いて行くと新港村に着いた。
この日はまず建物の外でのパフォーマンス「大橋可也&ダンサーズ」。照明は車のヘッドライト。男女の美しい死体が動いているような動きなんだけど、突然激しくなって、女の人がこけた。もう一度、こけた。それでパフォーマンスが終わるころにはその人の膝と肘には血がにじんできた。その人の痛みを想像しながら、なまぬるい風の中で吹かれていた。
次のパフォーマンスは屋内へ場所を移して。村田峰紀さん。まっ白いシャツを両手に持ったクレヨンやマジックペンで塗りこめていく。観客には背中しか見せない。背中がどんどん色に染まっていく。でも体がかたいのか、塗れる場所が限られていて、それがちょっと悲しかった。もうちょっと体が柔らかければあの白い部分にも手が届くのに。彼の息遣いだけが会場に響いた。
次は大きなゾウやロバのオブジェが見守る「動物園」にて、アンサンブル・ゾネ。ここでサミーちゃん登場。洗練された動き。シンプルな装いにストイックな動きがGAPの宣伝を思い出させる。ベーシストの井野信義さんのコントラバスが低く動きに合わせて鳴る。
また場所を移して、和紙に囲まれた円形劇場。李冽理(りれつり)さんは2010年WBA世界スーパーバンダム級王座獲得のボクサー。着ていた上着を脱いでスパーリングが始まる。パンパンパンと小気味いいリズムと見えないほど速いパンチ。首から肩にかけてじわじわと汗が浮いてくる。彼はただいつもと変わらぬことをやっていたのだと思うけれど、すごいパフォーマンスだった。感動した。スパーリングの終わり頃に再びベースが鳴りだして、今度はアンサンブル・ゾネの代表岡登志子さんの踊り。空間をゆがませるほどの力があるなと感じた。
次。海の見える広い部屋。梅棒のみなさんのパフォーマンス。ポップで楽しいダンスと演劇。天国の審判のシーンではSPEEDのGo!Go!Heavenで踊っていた。集団の踊りがびしっびしっと決まると文句なしに感動する。よかった。
後ろで普通に見ていたと思った人たちが前へ進み出て「赤い靴」を歌い始める。赤い靴ジュニアコーラスのみなさん。もっとも高い音程の女の人の声が突き抜けていて目が離せなかった。
ざざーっという波の音とともに大野一雄舞踊研究所研究生のみなさんがそれぞれ黒い服を着て薔薇を一輪持ってしずしずと歩いてくる。歩くだけでこんなに人は違うのだと驚いた。みんな違う。
PAをやっていた白塗りの人が大野慶人さん(大野一雄さんの息子さん)で、黒い人々の中を一直線にバケツを頭上に掲げて歩いていった。あのバケツを持つ手が震えていたのは演技なのか自然なのか、どうしてもわからなかった。頭の形がすごくきれいだった。窓の外を客船が灯りを灯しながら行く。
そして、その部屋の外に案内され、海をバックに本日最後の舞台。さきほどの白塗りの大野慶人さん(74歳)が小走りにやってくる。かたちのいい頭にピンクの頭巾をかぶってその上にうさぎの耳のヘアバンドをしている。世にも不思議なものを見た。体は30代のように頑強そうで、びしっとしていて、顔を見ると苦しそうな息をする口がブラックホールのように空いている。彫の深い顔。一通り踊った後、音楽が変わった。大野さんは指人形を抱いて再登場。私の前でぴたっと止まった。その瞬間を写真に撮りたかったけれど禁止されていたので撮れなかった。でも撮ればよかった。あんなのは二度と見られないように思う。照明に照らされた白いおじいさんがうさぎの耳をつけて人形を持ってあなたをじっと見ている。後ろは海。
この世はゆめまぼろし。

2011年10月21日金曜日

TGIF




TGIF. Thanks God, It's Friday!!!

アメリカの高校時代
金曜日には黒板にチョークで誰かがでかでかとこう書いた

なんかこう、人生を、週末を、思い切り楽しんでいる感じでまぶして目がシバシバした

今日は金曜日
おもしろおかしく


(写真は近所の「ハラロール」の青巻。豆乳でつくったクリームたっぷり)


2011年10月17日月曜日

くふき


サイトウさんとコンノくんととっくんで「くふき」

上品なリズムとあったかいメロディと声
音でどこまでも遊び散らかし放題 だけど優しい

なんだろう

3人が3本の優しいきのこに見えてきた

そう、宮崎駿のアニメに出てくるような

2011年10月15日土曜日

ワンピース

わたしがスカートをおさえて

あなたが帽子をおさえた

渋谷からの帰り道

風がある限りわたしは生きていられるような気がして

長袖のワンピースの手首のボタンを外す

2011年10月9日日曜日

秋晴れ昼過ぎからタコ、のちずっとビール


オクトパスエイト発進

写真は、大久保くんの大きなキャンバスに描かれた絵



昨日は楽しみにしていたタコ展がありました。
オクトパスエイトが作る「タコ」についての会。

海部くんが「タコ」について講義、生きたタコを買ってきて麻酔をかけて解剖。
キーダさんとトシさんのふわふわ踊るタコ風船のライブペインティング。
たかくんとえりかちゃんの職人タコ焼き。
カオリさんの小枝アートや、フォトコラージュ。まりもさんの鮮やかな色のアート。
大久保くんの揺れるモビールやタコの絵やデニム地のぬいぐるみ、「のびるっこ」の子どもたちの絵
まいさんの墨絵、かつみくんのショートムービー「タコ兄弟」
タバコジュースの大久保くんととっくんの入魂のライブ。
あと、玉子(たまこ)の絵本の朗読。

これら全部がタコだった。



おととい、「明日タコの朗読をするんです」
と、福桜さんに話すと、
舞台に明るい福桜さんは、
「空間ですよ。そして舞台ではその人の生き方が全部出ます。」
とありがたいような恐ろしいような忠告をしてくれた。

が、いまさら生き方を急旋回するわけにもいかず、当日を迎えた。
玉子としての朗読デビューだった。
はるばるやってきてくれたお客さんを前に朗読をして、
「空間ですよ。」という意味がわかった。
その部屋の気配、ひとりひとりの人がそこにいるということ、におい、音、光、すべてを含んで朗読だった。

みんなの顔がよく見えた。
子どもみたいに二つの目を絵本にしっかり集めて、いい顔をしてた。みんな。
時々くすっと笑ったり、うなずいたりしてくれたことがどんなにうれしかったか。

ありがとうございます。



今朝起きて、昨日のお酒が残る頭で、人生ってこうなんだって思った。
昨日の華やかな、にぎやかな、うれしいすべての出来事はもう過ぎてしまった。
もうすでに新しいページが始まっている。
だけど、昨日を迎える前の私と今の私は違う。
そうやって生きていくんだと思った。
どんな人もどんな悲しいこともうれしいことも、そのままではいない。
ただ、ちゃんと血や肉になっていく。

とにかく何かをするってことはいいことだなって思った。
すごくすごくいいことだなと思った。仲間がいれば鬼に金棒。


昨日はタコの会の準備から、近くのコンビニに走っては缶ビールをプシュっと開けて、金木犀の香りが流れる中、飲みながらやいのやいのと作業をして。
誰も「ビールを飲みながらやってはいけません」なんて言う四角い人はいなくて。
見るとあちこちにビールがあって、ギターの音がして、みんなが笑顔で楽しくて。
大人になるってなんて素敵なことだろう!


とっくんが締めの言葉の中で言ってた。「一番思ったことは…、生きてるってことかな!」
タコが墨をはくのを見たよ。それはもう限界っていうサインなんだって。
タコは生きてた。そして私たちに食べられた。

私も感じたよ、生きてるってことを。













2011年10月7日金曜日

たぬき


披露宴会場の下見に築地の「治作」へ出かけた
旧三菱財閥の岩崎弥太郎の別邸だった建物
お庭の代わりに池があり、まるで建物が水の上に建てられているよう
どの部屋からも見事に太った鯉が踊る池が足元に見える
玄関先に一階の天井を超えるほど大きな信楽焼の水差し、そしてその上にたぬきが乗った焼き物
「なんでたぬき?」と聞くと
「たぬきは他(た)を抜くと言うことで、昔から縁起がいいのです」とのこと
ほほー。
たぬき、たぬき、と思いながら、秋晴れの街に出た。

2011年10月5日水曜日

エクレアとコーヒーと

近所の本屋で『エクレアとコーヒーと詩人』という本を買った。
橋口幸子さん著。
薄い本で、詩人だった故北村太郎さんとの鎌倉や横浜での思い出をぽつぽつと書いている。
タイトルに一目ぼれだった。中身もよかった。
読み終えて本棚の一番目立つところに置いた。
それからエクレアを買ってきて、コーヒーを淹れて飲んだ。
コーヒーの時は『親愛なるキティーたちへ』という可憐な小林エリカさんが書いた本を読んでいた。同時に数冊を読み進める癖がある。
この本は、『アンネの日記』と、同時期に書かれたお父さんの小林司さん(アンネと同い年)の日記を手に、アンネの生涯を辿る旅に出たエリカさんの日記。
ベルリン、ベルゲン・ベルゼン、アウシュビッツ、アウシュビッツ・ビルケナウ。
指先が冷たくなる。
私にはエクレアとコーヒーがあり、あたたかな毛布があり、この部屋がある。
本をお腹の上の毛布にのせて、ごろんと畳に寝転がる。
幸せな昼寝の始まり。外は冷たい雨。

2011年9月26日月曜日

咲いた咲いた



夏に朝顔の種を蒔いた
少し季節を過ぎていたので咲くかどうか心配だった
心配をよそにすくすく毎日空に向かって茎が伸びていく
どんな色の朝顔かな
つぼみは濃い紅だった
つぼみが日に日にみるみる大きくなった

そして今朝、美しいブルーの朝顔が咲いた

空に向かってラッパを吹いてる

きれいだな

2011年9月25日日曜日

未来に預けられた今日ではなく




季節が秋に変わる
幸せな幸せな

昨日取材で宮崎あおいさんを撮った
「ツレがうつになりまして」という映画のプロモーション
その中で「未来に預けられた今日ではなく、今日という日を生きる」という言葉があった

ずきんとした

子どものころから夢は「お母さんになること」だった
当然なれると思っていた
年頃になり、年頃を過ぎて、いつからか「いつかお母さんになるための今日」を生きているようになった
そんなことじゃ、お母さんになったら目的達成で脱力しちゃうかもよ

今日は今日
明日は明日


先日タコ・ミーティングの後にへべれけで電車に乗った
電車の揺れか自分の揺れか、ふらふらしながらごきげんで猿のように吊革にぶらぶら

ひとりのおばあさんがすぐ近くにいた
「おばあちゃんが大好き」と隣の海部くんに言うと
「おばあちゃんみたいだよね。男に甘えられるでしょ」と海部くんに言われた

その会話をお酒の頭はすっかり忘れていて
翌日「髭」のライブに行くために大久保くんとエリツィンと待ち合わせていてふっと思い出した
愕然として、それから無性におかしくなった

そのほかにも海部くんは「その頭(ベリーショートカット)にその帽子(ひさしの大きな青い帽子)はアンネ・フランクみたいだね」と言って
「それ微妙だね」と言うと
「微妙じゃなくて、よくないよね」とあははと笑って言った
それも私は酔っぱらい過ぎていてゆらゆら笑って聞いていたけど後で考えるとずいぶんじゃない?
おばあちゃんといい、アンネ・フランクといい・・・


なんか毎日楽しいな
ちゃんと今日を生きてるみたい

みんなのおかげ
ありがとう


2011年9月21日水曜日

台風15号

台風が来た
すごいぞ
雨と風

午後の仕事がキャンセルになった
社長が「小学生が帰ってるのに行くのか!?」と町子さんに聞いてくれたのだそうだ
おかげで台風に巻かれずに済みました

社長はいつもおもしろい
先日は仕事の後に雑談で
「いつも大人気でみんなに取り巻かれている私だが、死ぬ時はひとりさびしく死ぬ気がする」と言う
「えぇ!どうしてですか?」と聞くと
「なんとなく。前世では東海道の人気のない道端でひとり死んだ気がするんだ」と言う
ふとその情景が浮かんできて悲しくなり、あわてて消した

ママに「窓の外の台風から目が離せません」とメールすると
「ママも安全なところから見る台風模様が面白くて好きです」と返事が来た
雨が降るとよく窓辺にぺたりとママが座って外を眺めてた
それが好きだった

木々は暴風に煽られて、なお元気に見える
葉っぱの裏の明るい黄緑色などちらちら見せながら、ぴんぴんしてる
鳥たちも風の中吹き飛ばされながら飛んでいく

台風を見ているのが好き

2011年9月15日木曜日

2011年9月14日水曜日

香港

香港の熱気が忘れられない
どこからも活気がしゅーしゅーと湧いている
地下鉄のエスカレーターはうっと後ろ髪引かれるほど速い
レストランはどこも賑やかで所狭くみんなもりもり食べる
路面電車のトラムから夜の街をずっと撮り続けたい
あぁ香港に焦がれる
また行っちゃうもんね
そんなわけで
ただいま表参道のマジョカフェでは香港キャンペーン中
お月見会に作った、きのこ餃子や
月餅、花開くお茶をご用意しております
この頃朝5時半頃に西の空
ラベンダー色の空に浮かぶ月がきれいです

2011年8月22日月曜日

金魚






ダイくんのライブに行って
サイトウさんとみつさんに会った

ライブの後、3人で飲んだ

私以外、2人は車の免許を持ってない

だけどみつさんは小学生のころから夢でバイクに乗っていたんだって
サイトウさんも夢の中で運転してる
「だけどブレーキが効かないんだよぅ。
ブレーキが効かなくてアムステルダムまで行っちゃうんだ。
それでなぜか隣にお母さんが乗ってるんだ。」

大笑いした。その絵がありありと目に浮かんだ。
サイトウさんとお母さんのアムステルダムまでのノンストップ・ドライブ。

そのあとも愉快な話が続いて時間を忘れた。

歩いて帰った。


そういえば「金魚」という、サワーにしそと赤唐辛子の入った飲み物をみんなが気に入って、何杯もおかわりした気がする。
さっぱりしておいしかった。
サイトウさんは「辛さが足りない」と言って赤唐辛子をつぶして飲んだ。
つまり金魚をつぶして飲んだわけ。



2011年8月20日土曜日

onomatopoeias-オノマトペ-




スケボースケボーとよく聞くので
Garance Doreのブログから一枚拝借

かっこいい
こんな写真撮りたいな

オノマトペは擬音語のこと
ぱおぱおとか?
スケボーまわりの言語はオノマトペなんですって









2011年8月15日月曜日

南相馬




限りあるものは美しい

つまりはなんでも美しい

その中でも特に雪、夕日、そして今




2011年8月3日水曜日

科学



片山先生が築地で買ったウニと山葵を持って引っ越し祝いに来てくれた
引っ越したらこれでお祝いするのが先生の中の習わしのよう
引っ越した人はご飯を炊いて待っていればよい

どんぶりに盛ったご飯にうにを豪快にのせる
すりおろした山葵を更にその上に
しょうゆを少したらして いただきます

幸せ
甘くて
色もオレンジと爽やかなグリーン
目にもおいしい
風鈴がチリーーーンと鳴った



『喜嶋先生の静かな世界』森博嗣(講談社 2010)を読んでいる
著者の森さんの自伝的小説ではっとすることが多い

少し参照
「研究には、やれば達成できるという確証がない。土に埋もれた鉱脈を探すようなものだ。何年も求め続け、結局は価値のあるものが存在しなかった、という場合だってある。否、駄目だということがわかるのは、まだそれなりの成果かもしれない。それさえ明確に示せない場合が最も辛いだろう。…(中略)
こんな生きた心地のしない稀有な世界だったけれど、僕はもう決めていた。もうしばらくここにいようと。いられるだけ、ここにいよう。自分の限界が知りたい。人間の限界を垣間見たい。そのためなら、それ以外のものが犠牲になっても良い、極端な話、自分の寿命が短くなっても良い、それだけの価値はあるのではないか。院生を半年くらい経験した頃には、僕は既にそう考えるようになっていた。」




それだけの価値のある世界にいられることを幸運に思い
僕は生きるためそして死ぬためにそこに賭けようと思う
自分の限界を知る限りない旅に出よう

2011年7月28日木曜日

また会う日まで

地下鉄の駅から地上に出る途中の
くの字に曲がった角のところで
安西水丸さんに会った

昨日会ったのに今日も会ったー!

びっくりして「ほえ!」と反応して
水丸さんはびくっとした

昨日と同じ洋服を着ていた

これを運命というんじゃないでしょうか?

こんなことがあるこの街を私は愛し初めています



髪を切った

「短くしたかったんですか?」と聞かれたので
「失恋したんですよぅ」と言うと
「え~ほんとですか?」と言われた
初めて会ったときから懐かしい感じのする美容師さんは
「未練があるというのは、本当に好きだったということです。だから未練があるのはいいんです。」と言い
私を涙ぐませた。
うれしかった。ほんとに好きだった。


目の前に2年も工事中の家が(あの!)「北野家」であるということを聞きつつ
髪はざくざく短くなって
男の子みたいになった


部屋に帰って
ビールを開けて
ゴーヤとなすのおひたし
大根のぬか漬け
松の実
チーズ
食べながら本を読みながら
後ろの部屋では昭和歌謡の「有楽町で逢いましょう」とか「誰よりも君を愛す」がラジオから流れていて
扇風機の風が優しくなでる

私は今どこにいてこれからどこにいくのかわからなくなり
無重力感で幸せいっぱいになる

2011年7月27日水曜日

blue and green




近所をお散歩
都会の中にジャングルがある
打ち捨てられ関心の外においやられたような団地
でもかつて人々がにぎにぎと生活していた亡霊のような気配がある
さびしくない

鳥が飛び降りてきて
道のなにかをついばみ
飛び去っていく
飛べるって不思議

トタン板の上で猫は右手をのばして昼寝の最中
そんなにいい毛皮を着て暑くないの?

ぼんやり歩いていたら
むこうから画家の安西水丸さんが歩いてきた
ゆっくりちょっと左に傾きながら歩いていた

私は彼を知ってるけど彼は私を知らない

みんな亡霊みたいな午後だった




2011年7月24日日曜日

ちょうちょ

エリザベス・キューブラー=ロスという研究者が
死が近い子どもの患者たちに絵を描かせた
多くの子どもが蝶の絵を描いた

ユダヤ人が収容されたガス室の壁は
子どもたちが爪で描いた蝶の絵で埋め尽くされていた

蝶はさなぎから蝶になる
再生のシンボル
死ぬけれどかたちを変えてまた生まれ変わるということを子どもだちは知っていたのか

体は死んでも思い出がある限り故人は生き続けます
「ごくろうさま」あなたはあなたのやるべきことをしっかりやっていったよね
と語りかけてください

そうお坊さんは話した
「ごくろうさま」とは思いつかなかった
墓前に立ちどう語りかけていいのか、今まではわからなかった
そうか、なるほどと思った

今日はともだちの3回忌の法要
私の中は思い出でいっぱい

いろいろな人とのいろいろな思い出でいっぱい

これからも増え続けるだろう
それを抱きしめていこう

2011年7月23日土曜日

ふられたうえにしかられた

非常に私的なことで本当に申し訳ないのですが
今日は書きます

ふられてもふられても大好きな人に
昨日またふられてしまった

しかも
「逃げてるだけなんじゃないの?」
としかられた
自分に受け止めないで逃げてるだけなんじゃないの

息もできず死ぬ思いがしたけれど
言ってくれた言葉の思い出せる限りをノートに綴っていったら
逃げてるだけなんじゃないの?がひっかっかった

言われてみれば逃げてるだけだった
孤独から、日常から、自分の弱さから
本当に本当に大好きだよ
だけどいいところばっかり見て辛いことは自分に受け止めることをしてこなかった

二人の楽しい思い出や夢のような出来事に逃げていた
そして別れてからも1年忘れられなかった
霞を食べて生きていた

人生最大のピンチから掬って(救って)くれた天使のような人だった
見つめ合うだけで細胞のすみずみまでぱんぱんに幸せだった
だけど別れが来た
健康や仕事や家族や社会常識やいろいろなことの渦におぼれた

昨日
「なんのためにうまれてきたの?」とも聞かれた。
あなたに会えて生まれてきてよかったと思ったけれど
なんのため?今はもうわからなくなった。
理由なんてあるのかな。

喪失感。
でも思う

志半ばで亡くなった人、その家族。
どんな気持ちがしただろう。
親を亡くした人、子を亡くした人。
悲しみを受け止めて一歩踏み出す人たち。

かつて最大のピンチにいた私に彼が言ってくれたように
今のこの気持ちを忘れずに書き続けていこう

あきらめることはしない
だけど固執することもやめる
草のように生きていく
意味はない
ただただ持てる力の全部でハッピーに生きてみる

私の人生に意味なんてないけどそれでいい
それで幸せ
あなたに会えて幸せです

またね







今朝メールを見ると
私にかつて最大のピンチをもたらしたアラブの王様からメールが届いていた
人生はめぐる

2011年7月19日火曜日

黒島ってなに?



電車に乗っていた
観光客のような家族が乗って来て私の周りにわらわらと座った
目の前の男の子は日に焼けてむちむち
「黒島」と書いてあるごっつい野球帽(なの?)を誇らしげにかぶっている
「黒島ってなに?」心の中で問いかける
君は日本人?じゃない?
そっと窺っていると日本語を話している
日本人みたいだ
ますます「黒島」って?
みんな知ってるのかな

不思議不思議
この世の中は不思議だらけ

カメラがなかったのでよく見て覚えてあとで絵に描いた
でもやっぱりあのむちむちぎらぎら感は出せない
む~修行が足りない

2011年7月17日日曜日

元気かい!!



今朝メールを開くと
「元気かい!!」というメールが父から来ていた
言葉がガツンと打って元気が出た

「元気かい!!」と来たら「元気です!!」と返すのは条件反射。

母が「そういえばうちの子たちは幼稚園に行くのを嫌がって泣いたりしなかったわね。」と言えば
「うちの子は陽気なんだよな。」と返す父。

いえいえ、涙をこらえていたのかも知れませんよ。
だけどそう思われていると思うと陽気にならずにはいられない。


さて、
梅雨明けを待って3日と3晩干した梅がきれいな梅干しになった。
このご時世に梅干し。

3日3晩というのは、最初の3日は昼の日にさらし
夜は梅酢に戻し、あとの3日は夜露にさらし
昼は梅酢に戻す
その手間暇に先人の教えがある

この効果は、「酸と塩が中和し、風味が増し、梅がやわらかくなり、きれいな色の梅干しになる」ということだけれど

朝、屋上に梅を出すときの日の高さや夜、梅を出すときのまんまるお月さまと星空
昔から漫然と続く行為に自分の存在はどんどん小さくなって宇宙のちいさな星になって輝きます

今日もいい日です




2011年7月13日水曜日

モモ



写真はタコス 我が家のソウルフード


思うこと


毎朝ゼロで起きて 毎晩ゼロで眠りたい

新しく生まれ 新しく死にたい




執着がなくなるね


話は変わります

先日解毒したくなるような状況の後深夜まで開いているスーパーに入って即座にりんごとモモを手にレジへ



帰って食べた すっきりした



翌日友人に話すと 「黄泉の国では桃を投げて鬼を退治する。魔除けの力がある。」と教えてくれた


知らず知らず桃の力で魔除けしていた自分に満足した

よくやった やってやった よしよし















2011年6月28日火曜日

タミちゃんとアキちゃん

今晩はおいしいビールをいただいた
私の前にはタミちゃんとアキちゃんの双子の姉妹が座っている
とっても穏やかな二人

二人のお父さんの話

いつもタミちゃんを駅まで車で迎えに来てくれる
だからそれまでお酒を飲まないで待っているお父さん
ある日連絡係のお母さんの携帯電話が通じなくてタミちゃんは歩いてとことこ帰った
「あれ、電話しなかったのかい?」と驚くお父さんに
お母さんを責める感じになるのはいやなので
「うん、今日はなんとなく歩いて帰ってみたの。」とタミちゃん
そしたらお父さん
「そうかい、じゃぁ今日は行かないよ。」


またある日のお父さん、お兄ちゃんの結婚が決まったのがうれしくて
「お父さん、100歳まで生きちゃうかもな。死ぬ気がしないな。」って言った
そして驚くタミちゃんに「迷惑?」


お父さ~ん。

2011年6月26日日曜日

カトウセイシロウくん

スーパー人気キッズ カトウセイシロウくんに会った
インタビューのカメラマンとして。
黒いミニスカートの私を上目づかいで警戒するようにじーっと見てる
そのうちリラックスしていっぱい笑った
かわいー
ちいさーい
くろーい(日焼けしてる)

夢は野球選手とサッカー選手と忍者 だっけ?
今度の映画は忍者役なのね
いろんな忍法を使いたいのだそう

インタビューが終わって窓で撮影
「雨が降ってきた」との誰かの言葉に
「ほんと!?さっきまであんなに晴れてたのに?」と空を見上げたところをパチリ
今日いちばんのショット

「ぼく雨を止められるよ。でも集中するから一日2,3回くらいしかできない。」
君はもう十分忍者のようです

かっこいい大人になってください
またいつか会おう

握手をした掌はまだふにゃふにゃだった

2011年6月3日金曜日

いちごのホットケーキ






季節が終わろうとしている最後のいちごが安くなっていて

いちごジャムがよくできたのでホットケーキを焼いた



小さい頃は家族でファミリーレストランに行くといつもいつもホットケーキを頼んだ

ほかのメニューが全然目に入らなかった

まんまるの何重にも重なったふかふかにバターがのってその上に思う存分はちみつを垂らす

それは幸せど真ん中



私をここまで運んでくれたいろいろにありがとう と手を合わせたくなる




2011年5月29日日曜日

おいしくできました




今日は一日雨。時折大粒の雨。
梅雨入りど真ん中。

それでも洗濯をしないと明日の洗濯物が多くなるので洗濯をする。
部屋の中に洗剤のいい香りが満ちる。
湿度100%を超えてても洗濯物が少しずつ乾くのが不思議。

ラジオを聞きながら服に空いた穴を繕う。
上手にできた。

それから日課の大井町線探訪(今年いっぱいの宿題。ご参照→http://blog.goo.ne.jp/ooimachiko
雨が激しすぎて傘の頂点から軸を伝って持ち手に水が滴る。どしどし塗れる手。

突然だけれど、最近思うのは全部つながっているということ。
今思うことや感じる気分、動作すべて、地球全部がつながってる。
パパが風邪気味だったりママが腰を痛めたりそれも私とつながっている。
地球の揺らぎも私につながっている。
だからなるべく真面目に注意深くきちんと生きていこうと思っている。
人を傷つけないように。待たせないように。
それでも怠け心に負けたり感情に揺れたりするんだけど。

夕飯が美味しくできたので写真に撮った。

2011年5月12日木曜日

タイ+ゆき+カウンター




ゆっことタイジローさんが部屋を見て
このキッチンの角にカウンターを作ってくれた
手前の板は持ち上げるとカウンターが延長する仕組み

このカウンターが来てから家に帰ると木の香りが迎えてくれる
幸せ
ありがとう

車で移動中
運転するタイジローさんの背中を見ながら
ゆっこと後部座席で話した
赤ちゃんの住む大きなお腹をなでさすりながらゆっこが言う
「タイジローがね、黒髪じゃなきゃだめだって怒ってたんだよ。」

去年の春にメッシュを入れた私の髪は伸び
今はチョコレートの中にたまにキャラメルリボンが見える程度

運転するタイジローさんは無口

タイジローさんとゆっこを交互に見ながら私は思った
いつも見ていてくれてありがとう


二人がこれからお父さんとお母さんになって
やがておじいさんとおばあさんになるまで
私も二人を見てるよ

これからもどうぞよろしくね

2011年4月28日木曜日

今日も福の神だよ

今日もカフェ本の取材

まずは上尾の「カフェダイニング・カルモ」
開店の11時からお客さんが絶えない
50坪の店内、常に満席
厨房は大忙し
「大繁盛ですね」と言うと
「なんだか呼びこんでいただいたみたいで」

また福の神だよ
私が行くところ皆さん満席大入りに大注意です

次は熊谷の「シナモンカフェ」
シナモンロールの美味しいお店
シナモンロール大好きー!大興奮。発奮。
幸せな時を過ごしました

カフェ取材、全6件やりましたが
どのカフェの店長も初めて会うとは思えない人たちで
なんだろうこの感じ、、、と首をかしげています

いろいろと興奮したおかげで
疲れきってまたへろへろと部屋に戻り
1杯のワインを飲み
もう眠くなっています
外は風の強いうなり

今日高崎から熊谷まで新幹線に乗ると
新幹線と競争するように風で煽られた土煙が目の前の風景を次々に飲みこんで行った
飲まれた田畑や家は土煙に消えた
津波の映像を思い出した
自然が一番怖い
風よ静まれ
怒りを沈めて

お願い

2011年4月26日火曜日

福の神だよ

今日はカフェ本のためのカフェ取材
写真と文を書くので大急ぎの大汗

でも楽しい
カフェが大好き

1件目は熊谷の「ショコラティエ・アヌーク」
撮影のためにホットショコラを作ってくれる
店中にチョコレートの香り
あぁ幸せ
そしてそれを撮影後にいただく
おみやげまでいただいてリュックの中にチョコレートを詰めて
ニコニコと鼻歌を歌いながら次の取材へ向かう

2件目は北本の「ギャラリー&カフェやいち」
いろいろな雑誌に載っているのでもう撮りつくされているかなと思ったけれど
どの雑誌に載っている写真よりも実物は素敵で
悪いけど、なんだ写真へたくそと思った

撮影より1時間早く着いてしまってお腹も空いたので
2時に入店。お昼を食べる。
だんだんお客さんが増えてきてついに満席になった。
「大繁盛ですね」とオーナーに言うと
「今日は福の神が来てるからね」とにやりと笑った。
えへ。福の神だよ。
うれしくなった。いつもそうだといいのに。

写真を撮って話を聞いて、ごちそうになって
駅に着いたら6時を過ぎていた。
4時間も経っていた!長居しすぎに反省。

へろへろと部屋に帰り着き
土鍋のご飯炊きに初挑戦
中学生の時に誰かから誕生日プレゼントにもらったキャラクターグッズの一人用の土鍋
母が引っ越しの荷物に忍ばせてくれた
最初ぶくぶくと吹きこぼれつつも美しく炊きあがり
感動した
土鍋が長い年月を経て活躍したことに
そしてご飯がこんなに美味しいことに

縄文人を通り越して弥生人になった気がした

2011年4月24日日曜日

エリツィン

今日はエリツィンがえりかちゃんと来てくれた

新しいお部屋に初めてのお客さま
やったー 乾杯!

何もないけどあるものを総動員して
おみやげにいただいた美味しいものを食べて飲んで
とっても楽しい時間を過ごした

そういえば今日銀行のATMで
隣の人が「早く死んじゃいたいな、もう」とつぶやいた
一度目は空耳かなと思った
二度目ははっきり聞こえた
「あぁもう早く死んじゃいたいな」

な!と私の血は沸き立った
なんてことを言うんだろうと
その人の背中を見た
とても背が高い、白髪交じりの背中
おいしっかりしろよ とその背中に向かって思った
そんなに大きく成長したのになんてこと言うんだ
本当はその背中にグーでパンチしたかった

生きているのに死んじゃいたいと思うことはあると思う
だけどせっかく生きているのにそんなことは言ってほしくない
生きていたいと思ったって死んじゃいたいと思ったって
寿命はいつか来る
私はちゃんと生き抜きたい

田中好子さんのことを思う
笑顔しか思い出せない
そんな風に私も生きたい

生きていこうよ

2011年4月16日土曜日

Sunset


朝の6時と夕方の6時 善光寺の鐘が鳴る
いい心地がする
きちんと一日を終える気がする

今日はフルコースだった

神田の「藪そば」でお昼
生ビールと春野菜のてんぷら、せいろは2枚
それから喫茶「ショパン」でショパンの調べを聞きながらコーヒー
そして「竹むら」であんずあんみつ

引っ越し祝いにいただいた暖簾を片手に歩いて帰る 
幸せな午後3時

2011年4月13日水曜日

ゆ~らゆ~ら



地震だ。また揺れている
引っ越しから1週間
新居の揺れ具合にももう慣れた
ここは優雅にゆ~らゆ~ら揺れる
笑ってるみたいに揺れる
だからあまり怖くない

毎日新しいことづくし
昨日は初めて洗濯をした
みんなで使う洗濯機は懐かしの二層式
洗いと脱水の二層になっている

一週間分の洗濯物はほとんどが手ぬぐい(乾きにくいタオルよりも重宝)
だけど洗濯機はほどほどいっぱいになった
じゃぶじゃぶ回転する洗濯機をじっと見つめる
すすぎを二度繰り返すと水がきれいになったので脱水層へずっしりと重い洗濯物を移しかえる

いざ脱水すると「タントントン!タントントン!」と大きな音をたててのんびりまわりだした
脱水してるとはとても思えない
しかも近所中に響くような音
リセットして何度繰り返しても同じ
「タン!トン!トン!」うるさい
もしかしたら量が多すぎたのかもしれない

洗濯物を3分の一に分けてゴムのまるい飛ぶ出し防止蓋でむぎゅーっと押さえる
すると「キュルリルリルリーーーーン」とすごい速さで脱水し始めた
光速。
ホースから脱水された水がぴゃ~と出てあっという間に脱水できた
さっきのずっしり重かった洗濯物は軽くなり心も軽い

生活のひとつひとつの作業が尊い
すべてが自分に返ってくる


いと楽し

2011年4月7日木曜日

門出


「さぁ今日は壮行会だ、飲もうか。」と台所へやってきた父。
「ちょっと待って。」と言う母に
「ちょっと待って、車は急に止まれない。」と父は拍子をつける。

こんなやり取りを聞く日常も今日までかと思う私。

父と私はビール、母は甘いカルーアミルクで乾杯をする。
なんと言って乾杯したのか忘れたが私はただただ「ありがとうございます」の気持ちで頭を下げた。

こんな風にこの家を出ていくなんて想像しなかった。けれど進むべき道は独りでにできていくものでそれに従ったらこうなった。

家族の中でお酒を飲むのは父と私だけ。

「ひとりであんまりお酒を飲みすぎるなよ。
ひとりっていうのは、自分を自分でコントロールしなきゃならない。
本質が出るんだ。」

明日から自分を律する厳しい毎日が待っている。
きっと楽しいはず。
とにかくたくさん働こう。
楽しくがんばっていこう。

2011年3月21日月曜日

参上!




お彼岸は雨の予報だったので
家族で一日早いお彼岸のお墓参りをした

歩く私の横に颯爽と正義の味方が参上した
とても無敵のように見えた
しかもかわいい


地震の時ひとりぼっちだった家に
偶然だが香港に住む姉が一時帰国
そして地震前日からスペインに行っていた両親が帰国
救われた

家族と離れて東京にひとりで住む人たちのことを思う
どうか誰かと繋がっていてほしいと思う

放射能のことが心配で姉や両親が帰国するべきではないかもしれないとメールを送った
姉は「とりあえず帰ります」と帰ってきた
母は帰国後「家族みんなが一緒なら死んじゃってもいいよねってパパと話したのよ」と言った
なぬーーー!?と思ったが
そもそもそういう両親のもとに生まれた私だったと思うことにした
それに仙台には妹がいる
不自由な生活の中でたくましくやっている
好意で無料で営業していた美容室で長かった髪を短く切ってもらったという
妹を置いてどこかへ逃げるわけにはいかない


生きることは楽しい
いろんな人といろんな話をしたい
いつか家族を持ちたい

2011年3月17日木曜日

無題


2011年3月16日水曜日

ほくほくさつまいも



地震の次の日に帰宅した時の家の様子は
空き巣に入られた時の記憶を思い出せた
今回は見えざる大きな手が引き起こしたことだというのが違う点

大体は棚の上の軽いものが落ちていた
滑りのよい引き出しは少し前へ出ていた
壁にかけた額は傾いていた
何かが少しずつ違うような家の様子

次の日の仕事に備えて準備をしていたが
キャンセルの連絡が入る
交通が大混乱
原発の事故のニュース
事態は関東でもやさしくなさそうだと感じた

次の日も「無理して来なくていい」と仕事がキャンセル
地震のニュースをずっとつけて情報を絶やさずにいた
そのせいか落ち着かず不安感にかられ
たくさん食べたり
地震で落ちたものなどを片づけられずに2日が過ぎた
ぼんやり横になったりした
これからどうなるんだろう 日本? 私。

その次の日も外へ出る仕事はなかったが
家の中で画像を処理し郵送した
世間との関わりを再開したせいか少し気分が上がり
料理をすることにした
常備菜を作っておこう
ひじきの煮物、きつね色に揚げたさつまいもで大学芋、それから小豆を煮てあんこを作った
どれも好きなものばかり

こんな時はきっとみんな自分の一番好きなことをしてる
大好きなあの人は歌を作っているだろうし
お腹に新しい命を宿したあの人はお腹を優しくなでているだろう
私は料理を作る 写真を撮りたいとは思わなかった

ニュースを見るのはほどほどにして
じっと心に耳を傾ける
自分の生きる力を信じること
みんなの生きる力を信じること
心が折れそうなときはしばしぼんやりした後に大好きなことをするといいね

2011年3月13日日曜日

122(ワン・ツー・ツー)をひたすら行け

地震があった時、取材から社に戻ってエレベーターホールでボタンを押していた

いつも点くはずのボタンの明りが点かない
何度も押す 「故障かな?この忙しい時に」と思った
するとビルの壁やガラスの扉がゆ~らゆ~ら揺れだした
あ、まずい 来るぞ

天井の高いエレベーターホールもエントランスもガラスに囲まれて
逃げる場所が見当たらない
ガラスではない壁に身を寄せて
受付嬢と手を取り合ってうずくまった
警備員さんが「ガラスから離れてください!」と叫ぶ
しかしここはガラスだらけ
天井のガラスが今にも落ちてきそうに思えた
これが最期の時なのかとか考えた
揺れは長く長く続いた 揺れよ止まれと念じた

揺れがおさまって早く職場に戻らなければと
私はまたエレベーターのボタンを押した
来るはずもない もちろん明りも点かない
機材を担いで階段を上がる
災害とはこういうことかと知る

写真部では既に陸路で仙台へ向かう第一班が出発
続いて第二班は空路、東京のヘリコプターがだめなら大阪から
日没が近い、それならセスナか
とにかくいち早く現場に一人でも多くたどり着くこと

テレビでは田園地帯を大きな水の塊が飲みこんでいく
ゆっくりと確実に不気味に 車も家屋も橋も道路も
押し寄せ積み上げられた白い車の山から火の手が上がる
余震は続く

朝を迎えて都内では電車が動き出したという情報
11時過ぎに上野駅に到着
電車が動いていても乗れるとは限らない
上野駅は蛇のうろこのように人人人の頭が通路から階段の上まで埋め尽くしている
こんなところにいられない 堪らなくなって歩きだした

いい天気でよかった
上野駅からまっすぐ北上、鴬谷駅そばの交番で家までの道を訊く
「それなら122(ワン・ツー・ツー)だな」とおまわりさん
ひたすら行って、ところどころに駅があるから乗れそうなら電車に乗りなさい

122は家につながっている
道は必ずどこかに続いている
私はきっと大丈夫だ

2011年3月4日金曜日

デモなどない。お前どこで見た。



先日新聞の見出しを見て笑ってしまった。

リビアのカダフィ大佐が言ったという言葉。

「デモなどない。お前どこで見たんだ。国民はみな私を愛している。」



もうずいぶん前にリビアから来た使節団の写真を撮ったことがあった。
車で移動中、宗教の話になった。彼らはイスラム教を信じている。
アッラーは太陽、唯一の神でそれ以外の神などありえない。
アッラーを信じないとしたら君は一体何を信じているんだ?

私は私の中をひととき見渡して日本人代表としてどう答えようか考えた。
自然?八百万の神?どれも違う気がした。
「myself」とぽろっと答えた私に
今まで聞いたこともないナンセンスを目の当たりにしたという風に目を剥いた毛深い顔を時々思い出し私はほくそ笑む。

信じることはすばらしいし誰にも止められない




(写真は博多のにわかせんぺい)

2011年2月25日金曜日

ニーナのフルーツ盛り



階下で父と母が話す声が聞こえる

「今日はケーキカットはするのかな」

「アルピーノがいいんじゃない?美味しいから」

私の誕生日について話している


誕生日にはみんなが優しくしてくれて
歩きながらも幸せで顔がにやけてしまった

宇宙は無から生まれたんだよ
宇宙はほかにもいくつかあるらしい
人の生も死も本当はそんなに意味がない
脳が悩むのは贅沢な癖なんだって

それでもなんでこんなにみんな優しいんだろう

ありがとうありがとうありがとう

これからもいろいろな局面に出会うと思うけど
この心臓の奥の方に感じるとても暖かい気持ちを惜しみなく前面に出していこうと思う

誓う

2011年2月19日土曜日

明日館の夜








明日館は自由学園誕生当時の校舎です
「みょうにちかん」と読むようですが私はいつも「あしたかん」と読みます
フランク・ロイド・ライトの設計した建物で
シンプルかつ重厚

その明日館で暖炉に火を灯しコエドビールを飲む会がありました
暖炉の火が乾いた薪をぱちぱちと鳴らし
常温のビールは味深く
ケータリングのお料理はビールを使ったポトフや骨付き肉から削いでもらうハム
ビールのシフォンケーキも。

途中で抜けて仕事に向かった私は燃えた木の香りをまとっていて
なんだか豊かな気持ちに胸が膨らみました
ビールのおかげかシャッター音も無駄に気前よく鳴りました

ライトといえばシカゴのオークパークにどっしりとした自邸が残っていて
高校生の頃にそこを訪れて感動した私は建築家を夢見たものでした

むかしむかしのお話

2011年2月18日金曜日

食いしんぼう


杏大福が今大好き

去年まで今の季節は苺大福だったが
銀座あけぼのの店先で外側の白い表皮にうっすらと透けるオレンジ色を見た時から
そして一口食べた時から杏大福が一番になった

甘くて酸っぱいみずみずしい杏と
ひんやりと上品なこし餡がベストマッチ
オレンジとグレーのコントラストも最高

美味しそうに写真に写そうとお皿に置いて思考錯誤の末
一口食べたらその瞬間が一番美味しそうだったので
左手でぎこちなくカメラを持って一枚写す

やっと撮れて杏大福を食べることができました
おいしい~

2011年2月12日土曜日

雪の日に帽子が届くうれしさよ

雪の朝 少し早い誕生日プレゼントが届いた
真新しい毛糸の帽子 ゆうこちゃんからの贈り物
こんなにうれしい朝はめったにない

「ありがとう。帽子届いたよ。」

ゆうこちゃんは沖縄にいた
これから水族館に入るところ
むこうは雨らしい

「こっちは雪が降ってるよ。この帽子をかぶって出かけるね。」

と言うと
ゆうこちゃんはふふふと優しく笑った

本当にありがとう